ナイルストーリー
 
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アスワンのアガ・カーン廟について



 アスワン西、エレファンティン島の向こうに白いドーム型の建物が見えます。

これは近代の偉人、20世紀のイスマイール派の指導者であった、アガ・カーンの墓です。 

 イスマイール派は預言者ムハンマドの娘ファーティマの夫であるアリーを正統な後継者であると信ずるシーア派に属します。ファーティマ朝は969年にカイロを首都としたシーア派の王朝で、1171年にサラディン軍により放逐されるまで続きました。アガ・カーンとエジプトとのつながりは1000年以上前まで遡れるのです。

 つの世紀にまたがるファーティマ朝が残した建物はアズハルモスク(及び大学機構)、ハーキムモスク、サリーフ・タラーイモスク、南の墳墓群が残っています。またカイロに堅牢な城砦を作り、現在もそのうちのつの門(ズワイラ、ナセル、フトゥーフ)が残っています。

 イスマイール派の後継者モウラーナ・スルタン・ムハンマド・シャー・アガ・カーン世は彼の晩年の休憩地としてエジプトのアスワンを選びました。深刻な彼のリューマチにとって乾燥したアスワンはもっとも適していたようです。フランスに住まいを構えていたアガ・カーン一族がアスワンへ毎年現れるのは、大変華麗な旅だったそうです。

 アガ・カーンの死後も彼の3度目の妻であるイボンヌはアスワンを訪れ続けました。妻によると、「アガ・カーンは常にエジプトはイスラムの旗印であり、エジプトに葬られるのを望んでいた」と言っていました。

 アガ・カーンがイスマイール派の48代目イマームとなったのは、彼が歳のときです。また、1930年代にはイギリスとインドの架け橋として力をふるいました。

 多くの逸話を残す大金持ちで、例えばある時、彼の体重と同じ重さの黄金、ダイヤモンド、プラチナをイスラムの共同体にプレゼントしたとのことです。しかし、イスラム共同体にとってはパトロンであっただけではなく、偉大な精神的指導者であり続けました。

 アガ・カーンが1957年に亡くなったとき、当時のエジプトの大統領ナセルは、彼の埋葬地としてアスワンに土地を与えました。廟のデザインはファリード・エル・シャーフェイというエジプト人建築家がモカッタムの丘にあるギューシモスクをベースにして建てたとされています。廟には大きな棺が二つ置かれました。

 アガ・カーンの未亡人はウンム・ハビーバと呼ばれ、その生涯はフランスとアスワンを往復して過ごしました。元気な間は、自分の手で毎日アガ・カーンの棺の上に花を置き続けていました。もう片方に並んだ棺は自分の為のものでした。

 2000年 アガ・カーン夫人が亡くなります。その遺体はアスワンに葬られましたが、それ以降遺族は廟への階段を閉じ、一般の人々の参詣(と見学)を禁じました。

 アスワンの丘の上、並んだ二つの白い大理石の棺の、その片方に添えられていた深紅のバラはとても美しいものでした。